2022.11.11

裁判員裁判と無罪

先日、殺人事件の弁護をして無罪判決をいただきました。
僕が担当した被告人は、殺人を実際に行った人と事件直前まで一緒にいただけで殺害行為をしていないため、実行犯と「共謀」があって「共謀共同正犯」とされるのかが争点となりました。「共謀」「共謀共同正犯」は法律概念ですし、この裁判には証人も多数出廷した上、関係者のコロナ罹患によって日程変更という事態にもなりながら、約1ヶ月半もの公判に最後までお付き合いいただいた裁判員の皆様はかなり大変だったことと思います。
僕からしても、事案把握が困難で読み込むべき資料が多い難事件でしたが、準備段階からこの件は、手をかければかけただけの成果が出るような予感がしていました。実際、ともに担当した仲間の弁護士から「こんなにも人に会うものなの?」と驚かれるくらい、まあ、たしかにいろいろトライしました。また、公判開始後の法廷内外での攻防はヒリヒリすることの連続で、自分の力量が通用するのか試されていると感じる緊張した日々でしたが、同時に、難事件を担当して自分の経験値があがることに対する喜びもありました。
本件の審理の舞台は第2審に移るものの、とりあえず第1審で「共謀」が否定されて無罪判決が出た今、がんばった甲斐があったと感じています。

数えてみたら、2009年に裁判員制度が始まって以降、僕が裁判員裁判第1審を担当した件数は本件で27件目となり、このうち無罪判決は本件で3件目となります。まあ、無罪判決それ自体は、事案と仲間の弁護士に恵まれた結果でしょう。
そのことよりも、僕を含めた弁護士が、法律概念や量刑を左右する事情の位置付その他について、より深く考えるようになり、より丁寧な説明を心がけるようになったということは、裁判も社会の一要素であることを考えると、非常によいことと感じています。
実際、本件でも、初公判の直前に朝のニュース番組のキャスターが法律家コメンテーターに対して「『共同正犯』ってなんですか?」「『正犯』ってなんですか?」と食い気味に尋ねていたのをたまたま見てしまい、「そうか、そこから(の説明が必要なの)か」「そしたら、共謀共同正犯はもっと理解が難しいな」と再認識し、本番での説明を少し変えたりといったこともありました。
もちろん、僕の考察や配慮が十分に行き届いているかはまた別論で、だからこそ引き続き研鑽を積まなければならない、そんな気持ちでもいるところです。

(文責:土屋)